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1.びわこの真珠

2.淡水真珠の歴史

3.琵琶湖産淡水真珠養殖事業の沿革

4.原産地証明書

 海産真珠養殖事業の歴史については真珠業界では広く知られているが、淡水真珠養殖のそれについては、余りというより殆ど知られていない。琵琶湖で、この淡水真珠養殖がどういう歴史を辿って発展してきたか、淡水真珠養殖事業の沿革を先ず振り返ってみることにする。
 抑々、人類と真珠の繋がりは極めて古く、そしてその真珠は総て天然真珠のみであったにちがいない。淡水真珠の養殖が企てられたのも古く、11世紀頃に隣国中国でカラスガイの介殻に小さい仏像を接着させ、それに真珠層を分泌させて造った所謂“殻つき仏像真珠”が始めで、その後18世紀に入ってドイツやフランスで、カワシンジュガイやカラス
ガイを母貝にして、真珠養殖実験が行われていたと言われている。
 我が国の真珠養殖は周知の通り、アコヤガイで始められ(明治21年、1888年)明治27年(1894年)御木本幸吉がアコヤガイを母貝として、日本で始めての真珠(殻つき半円真珠)養殖に成功したのであるが、淡水真珠はこれより遅れること約40年の昭和3年(1928年)、ようやく母貝として琵琶湖産イケチョウガイHyriopsis schlegeli(v.Martens)、が敵種であることがわかり、更にこれから18年後の昭和21年(1946年)に、母貝の外套膜内で無核真珠を養殖する技術が開発された。この技術は、アコヤガイには適用され得ない、淡水真珠独特の画期的なものである。然し、この真珠母貝イケチョウ
ガイの発見と、無核真珠養殖技術の確立に到るには、次のような苦難の路が横たわっていたのである。
 明治43年(1910年)。当時の滋賀県知事川島純幹は御木本の殻つき半円真珠の養殖技術の発明に刺激され、大津市膳所の某に、琵琶湖産メンカラスガイなど大型二枚貝で天然真珠の採取されることから、淡水真珠養殖の研究をさせたが残念ながら失敗に終わった。
 大正6年(1917年)。当時の滋賀県知事森正竜は御木本幸吉に依頼し、渡瀬某なる技術者を三重県より招き、滋賀県野洲郡中主町野田にある小沼で養殖実験を試みたが(母員は不詳)、これも成功しなかった。
 大正13年(1924年)。アコヤガイによる真円真珠養殖に成功した西川藤吉の助手をしていた藤田昌世が、琵琶湖の二枚貝を使って淡水真珠養殖を企て、向吉慶二郎・田中光次等と共に来県し、当時大津市観音寺町にあった京都大学大津臨湖実験所で、所長川村多実二の教示を受け、カラスガイを母貝とする真珠養殖実験に着手した。
 大正14年(1925年)。藤田昌世等は、大津臨湖実験所付近の環境が真珠養殖にはむかないことを知り、その頃滋賀県水産組合長をしていた吉田虎之助に相談をもちかけたところ、吉田は自ら発起人となり、その所有する区画漁場滋賀県栗太郡常盤村志那(現在の草津市志那町)にある平湖の養殖場を、真珠養殖の研究に提供し、実験を開始したのであ
る。
 昭和2年(1927年)。吉田は有志と共に止記の箇所に“淡水真珠養殖研究会”を発足させた。
 昭和3年(1928年)。この淡水真珠養殖研究会は、実験の結果カラスガイによる真珠養殖には失敗したが、イケチョウガイを母貝とする養殖が可能であることを知って、琵琶湖の淡水真珠養殖事業は明るい曙光を見るに到った。
 昭和5年(1930年)。藤田昌世はイケチョウガイによる商品価値のある真珠(無核)養殖に成功し、養殖された真珠を藤田式バラ珠と称して、インド・中国・イギリス等に商品見本として送った。
 昭和10年(1935年)。御木本幸吉の資金援助を受け、風間八右衛門を社長とする“淡水真珠養殖株式会社”(翌年に琵琶湖真珠株式会社と改称)が設立され、ここに本格的な養殖事業が開始され、淡水真珠養殖事業の今日の基盤を築くもととなり、漸くこの事業も軌道に乗りはじめて、(昭和12年1937年)製品も海外に輸出されるようになった。
 昭和17年(1942年)。支那事変に引続き第2次世界大戦が勃発したため、余儀なく“琵琶湖真珠株式会社”は解散する破目になった。
 昭和21年(1946年)。悪夢のような世界大戦の戦火も消え、海産真珠養殖事業の復活と共に、淡水真珠養殖事業も再開されるようになった。
宝石商宇田清一郎は、琵琶湖真珠株式会社の設備一切を買いとり、“新興真珠株式会社”を設立し、事業の採算上、従来から実施されていた有核真珠の養殖に代って、無核真珠(ケシ)の養殖に着手、苦心の末、淡水無核真珠の特性を生かす新技術開発に成功し(藤田昌世に負うところが多い)、今日の発展の礎石を築いた。
 昭和23年(1948年)。藤田昌世は“琵琶湖真珠株式会社”を再建し、滋賀県滋賀郡堅田町衣川(現在の大津市堅田衣川町)地先に養殖場を設け、事業を始めた。
 昭和26年(1951年)。酒井玉竜は“株式会社日本真珠社”を設立し、滋賀県栗太郡常盤村下物(現在の草津市下物町)地先で養殖を開始した。
 昭和28年(1953年)。近江鉄道株式会社が、滋賀県高島郡高島町勝野乙女ケ池で真珠養殖にかかった。
 昭和29年(1954年)。神保竹治は滋賀県野洲郡守山町小浜(現在の守山市小浜町)の鵜飼沼で真珠養殖を始めた。
 昭利30年(1955年)。調子調次郎は“調子真珠合資会社”を設立し、滋賀県高島郡今津町の内湖で真珠養殖を始めた。
 昭和31年(1956年)。藤田昌世の琵琶湖真珠株式会社は、事業経営不振のため解散し、滋賀県漁業協同組合連合会がこれを受けつぎ、真珠養殖事業を県下漁民に啓蒙すべく、“淡水真珠養殖事業の振興に関する基本方針”を策定し、業界の育成をはかるべく養殖を開始したが、翌年再び経営不振のため解散することになった。
 昭和32年(1957年)。田中新吾は“滋賀真珠産業有限会社”を設立して、県漁協組連合会真珠養殖部を継承した。この県漁協組連合会の真珠養殖事業は1年余りで中止になったが、これを契機として、県内漁業者による真珠養殖事業着手が続出し、今日の隆盛を見るに到ったもので、県漁協組連合会が真珠養殖事に手をつけたことの意義は非常に大きい。この頃、県内で真珠養殖事業を経営していたものは次の6社である。
 新興真珠株式会社、日本真珠株式会社、神保真珠有限会社、滋賀真珠産業有限会社、近江鉄道株式会社、調子真珠有限会社。
 上記6社が発起人となり、中小企業協同組合法(昭和24年)に基づく「滋賀県淡水真珠養殖協同組合」(組合長宇田清一郎)を設立、自らが組合員となり、母貝の購入・真珠の販売にと積極的な活動を開始、現在の真珠交換会制度の発端にもなっている販売制度を確立したのである。
 こえて昭和33年6月、10月及び昭和34年9月に、既に真珠養殖事業に着手していた29業者に対し、正式に真珠養殖区画漁業免許書が交付された。
 昭和34年(1959年)。県下真珠業界の発展は目ざましく、県では昭和31年制定の「淡水真珠養殖事業の振興に関する基本方針」を再検討し、新たに「真珠養殖業の育成に関する基本方針」を樹立した。
 真珠養殖区画漁業免許者29業者と、昭和35年に免許を予定されている漁業者及び淡水真珠養殖協同組合員が大同団結して、ここに円満裡に「滋賀県淡水真珠養殖協同組合」を解散し、「滋賀県真珠養殖漁業協同組合」(組合長柳森清一)を組織したのである。
 真珠生産量の増大にともない、真珠養殖法の適用をはかり、計画生産のため、施術目標数(この年昭和34年は88万個)を定めた。また琵琶湖産淡水真珠の名称をビワ湖真珠Biwako Real Pearl に統一した。
 滋賀県水産課発行の水産要覧(昭和30年)によると、黎明期の滋賀県淡水真珠業界を察知する資料として、次のような事項が記載されていた。
 (1)当時の業界(昭和29年まで)には、次の5社があった。
   新興真珠(株)昭和21年7月設立。
   琵琶湖真珠(株)昭和23年12月設立。
   日本真珠社(株)昭和26年8月設立。
   近江鉄道(株)昭和28年4月設立。
   神保竹治(株)昭和29年3月設立。
 (2)これらに免許された漁場総面積106,850坪。
 (3)これらが昭和28年度購入した母貝は59,800貫。
 (4)施術した母貝数
昭和28年秋
昭和29年春
無核 184,900個
無核 222,500個
有核 4,000個
有核 9,600個
小 計
無核 407,400個
有核 13,600個
総 計
421,000個
 

(5)昭和28年度の真珠生産量14貫500匁(施術個数421,000)。
 (6)真珠の価格は、国内取引で、海産真珠と殆ど差はない。
 昭和35年(1960年)。滋賀県農林部は「滋賀県水産業の現況と対策」を策定し、真珠産業の振興をはかった。
 昭和38年(1963年)。滋賀県は「真珠養殖業の育成に関する基本方針」を更に1部改正した。
 昭和39年(1964年)。真珠流通機構改善のため、真珠の加工と製品の販売を目的とした「滋賀県真珠加工協同組合」(理事長浦谷清)が設立された。
 昭和40年(1965年)。真珠産業の急激な発展と相候って、母員不足が深刻な問題となり「淡水真珠養殖事業の振興とイケチョウガイ母貝需給の円滑を期するための連絡協議会」が水産庁漁政部長招集のもとに開かれた。
 昭和43年(1968年)。「滋賀県真珠母員養殖漁業協同組合」設立され、イケチョウガイの人工増殖が企画・企業化されるに到った。
 昭和44年(1969年)。琵琶湖総合開発に対応するため、滋賀県真珠養殖漁業協同組合内部機関として「琵琶湖水位低下対策委員会」(後に琵琶湖総合開発真珠対策委員会と改称)を設置した。

 昭和55年(1980年)。真珠養殖の生産額が40億円を超えた。

 平成4年(1992年)。琵琶湖内でイケチョウガイ漁獲量が0(ゼロ)となった。

 平成21年(2009年)。滋賀県真珠養殖漁業協同組合がイケチョウガイの養殖を開始した。


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